「住宅の解体は時間を考えること」

私たちは時間を、過去・現在・未来と区切って考えますが、時間は止まることなく続いているので、三つに区切って考えるのは私たちの習慣上のことといえます。時間認識をもう少し厳密に考えると、過去も未来も思考するのは、常に、今この時なので、過去を考えることができるのは、実は過去がギュット圧縮された状態で現在に含まれていると考える以外にありません。そのような状態を「縮約」と表現しますが、未来も同じような状態で、今この時に思考されていると考えると、常に存在するのは現在だけなのです。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは次のように言っています。 『時間の総合は、時間の中で現在を構成する。だからといって、現在が時間のひとつの次元であるというわけではない。存在するのはひとり現在のみである。時間の総合は、時間を生ける現在として、過去と未来をその現在の二つの次元として構成するのである。 』(「差異と反復」)

私は木造住宅を造りながらゴミのことを考えてきましたが、ゴミについて考えることは、実は時間について考えることではないかと思っています。

ゴミのことを考えたのは、私が造りたいと思っている木造住宅の技術が、どのような意味を持つのかを知りたいと思っていたからです。国産の木を自然に乾燥させた材木を使って、木の栓で接合して骨組みを造り、土や木で壁や天井を造る、そのような木造住宅を造る技術は、今ではほとんど使われていません。90%以上の住宅が全く正反対の技術で造られています。木を人工的に加工して半工業製品のようにして工場のラインで加工します(プレカット)。それを金物で接合して骨組みを造り、その骨組みに工場で造られた材料を接着剤や金物で取付ける方法です。このような環境の中で、私が造りたいと考える木造住宅とそれを造り続けることの二つの意味を知りたかったのです。もし、そのことに大した意味がなければ、ここ二十数年続けてきた木造の技術について考えることも、構造的な解析をすることも、あまり意味がないことになります。なにより一般的に造られている木造住宅よりも高いコストを、住む人に要求する必然性がありません。

私はその意味を 『ゴミ=時間』という図式の中に見つけたのです。

これらの写真は、大工塾の講義で見学させていただいた中間処理場の様子です。10年ほど前の写真なので、現在は違う状況になっていると思いますが、ほとんどが住宅の解体現場から運び込まれた廃棄物です。ここでリサイクルされるものと焼却されるものとに分別されて、次の工程に運ばれます。これらの写真は、住宅のつくり手にも住み手にも、「どのように住むべきなのか」という重い課題を投げかけてきます。

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